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〜 <文明>の新しいかたちを求めて 〜 ( 佐々木寛のブログ )

始動。新潟市民発電
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    この間、今年に入ってずっと準備をしてきた新潟の市民発電の試みが、ようやく最初のキックオフ集会を迎えつつあります。チラシも地元のアーティストの力添えで完成しました(下写真)。



    「おらって」とは、新潟弁で「私たちの」という意味です。つまり、「私たちの電気をつくろう」という意味です。
    そして、新潟の市民発電の理念は、以下の通りです。準備会のみんなで議論し、それを元に私が原案をつくり、みんなで決めました。この宣言は、運動が拡大するにつれて、主文の下にある「私たちが目指すもの」に次々と新しい内容が加わるようになっています。「宣言」としたのは、ちょうどマルクスの『共産主義者宣言』を読んでいたことと無関係ではありません。21世紀のラディカル・ポリティクスの「宣言」として書いたつもりです。

    実際に行動をしながら、現代の社会科学(学問)にとっても最先端の内容がつまったできごとが次々と生起するので、驚きの毎日です。このブログでも、その概要をお伝えしようと思います。

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    にいがた市民発電宣言
     
     私たちは、豊かな自然に恵まれたここ新潟の地から、次世代の新しい社会のあり方を模索し、実現するために、市民による発電事業を開始することを決めました。
     この事業を通じて私たちは、自らエネルギーのあり方を考え、実践するのみならず、地域の食、農、自然、伝統、歴史を活かし、未来の世代のための新しい地域の姿を新潟から創りだしたいと思います。
      
    〜 私たちが目指すもの 〜
     
    ●新潟の未来世代のいのちが尊重され、守られる持続可能な地域社会の実現
     
    ●水・里山・農など新潟の豊かな自然を活かした多様なエネルギー資源の活用
     
    ●広範な市民の参加や実践、熟議の場の創出
     
    ●市民・行政・専門家の新しい協働のかたち
     
    ●新たな雇用創出などによる、活き活きとした地域経済の実現
     
    ●環境教育や市民研究会などによる、省エネ文化の普及や、新たなライフスタイルの模索
     
    ●新潟の歴史的遺産の再発見と、若者が誇りをもって生きられる地域社会の実現
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    | 佐々木寛 | - | 17:20 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
    マルクスの取り組んだテーマはやっぱり普遍的だったということについて
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      若い人たちとの読書会で、マルクスの『共産主義者宣言』(平凡社ライブラリー)を再読しました。

      自分が若い頃から何度も読んできた本です。しかし残念ながら、読むたびにその内容を忘れ、読んでみてはまた忘れるの繰り返しでした。概して、マルクスの翻訳本は苦手のひとつです。

      けれども、この平凡社版は、そのタイトルでもわかるように、テキストの真意をくんで極力わかりやすい訳になっているので助かりました。また今回は「文明論」の観点から読んだので、いろいろな発見もありました。巻末の柄谷行人さんの解説も腑に落ちました。

      当時(彼が29歳の時です!)のマルクス思想の限界もよくわかりましたが、その欠落や時代的制約性をこえて、彼の格闘したテーマの普遍性を再認識しました。彼の主張はある意味シンプルで、資本主義的な私的所有制度そのものを変革しない限り、本当の人間解放は訪れないということです。

      マルクスはグローバル化の基本的な論理を理解していましたし、それがもたらす社会の姿についても的確な見通しをもっていました。

      「かれら(ブルジョア階級)はすべての民族に、いわゆる文明を自国に輸入することを、すなわち、ブルジョア階級になることを強制する」、「ブルジョアが執着する文化とは、大多数の人間にとっては、機械となるための教化でしかない。」「何故そうなって(恐慌が起こって)しまうのか? 社会に文明がありすぎ、生活手段がありすぎ、工業がありすぎ、商業がありすぎるからだ。社会が自由にすることのできる生産力は、もはやブルジョア的文明およびブルジョア的所有関係の促進には役立たない。」…

      マルクスにとって「文明」とは、まさにブルジョアが作り出すものにほかならず、歴史の中で乗り越えられるべきものでした。しかし、逆に言えば、ブルジョア文明を克服した世界にこそ、人類にとって真の「文明」があるのだと言い替えることもできるかもしれません。

      この本の後半でマルクスが否定する、「共産主義」と似て非なるものたちは、空想的社会主義や保守的社会主義も含め、どれもその社会変革が不徹底であるがゆえに、おのずと歴史的限界をもっているということになります。「人間の顔をした資本主義」と「空想的社会主義」との間に現況を突破するためのヒントがあると思っている私としては、サン=シモン、フーリエ、オーウェンといった思想家たちは、今こそ再読・再評価するべきだと思っていますが、マルクスの「共産主義」にとっては(ある程度は評価をしながらも)まだまだ不十分なのです。

      しかし、資本主義、すなわち私的所有関係の根源にまで変革の力を及ぼすことなしに真の革命や人間解放はないという彼の指摘は、やはり正しいと思います。最近、トマ・ピケティやセルジュ・ラトゥーシュなど、このマルクスの取り組んだ大テーマを再び正面から取り上げようとする思想家が注目されていますが、時代がそれを要請しているのだと思います。次の問題は、「それをどう実現するのか」という<方法>の問題にほかなりません。


      | 佐々木寛 | - | 02:57 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      「社会主義文明国家」
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         北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)は、2013年9月4日付の『労働新聞』で、「社会主義文明国家」の建設を謳っているそうです。この場合の「文明」とは何か、が私の関心事です。以下、「自主・平和・親善のために」というブログからの引用です(http://blog.livedoor.jp/tabakusoru/)。

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        【平壌9月4日発朝鮮中央通信】4日付の「労働新聞」は社説で、こぞって朝鮮労働党の指導に従って社会主義文明国の建設に一斉に奮い立ち、わが祖国を世界がうらやむ文化的で発展した国、チュチェの社会主義強盛国家に輝かしていこうとアピールした。同紙は、われわれが建設する社会主義文明国は全人民が高い文化知識と健康な体力、高尚な道徳品性を身につけて最も文化的な条件と環境で社会主義文化生活を思う存分享受し、全社会に美しくて健全な生活気風が満ち溢れる国であるとし、次のように指摘した。
          人民の理想と念願が実現された国、主体性と民族性が実現され、社会主義社会の本来の要求が徹底的に具現された国がすなわち、われわれの社会主義文明国である。最も優れた社会主義制度と長い歴史的闘争の中でもたらされた豊富な経験と土台は、社会主義文明国建設の力強い推進力である。われわれの社会主義は、人民大衆がすべての主人となり、社会のすべてが人民大衆のために奉仕する人民大衆中心の社会主義である。わが国では、党と国家のすべての活動が人民の生活向上に志向されている。全般的無料義務教育制、無料治療制が実施され、文学・芸術とスポーツをはじめ、あらゆる文化分野が人々を自主的な思想意識と高い文化知識、健康な体力と高尚な道徳品性を身につけた全面的に発展した人間に育成するのに奉仕している。わが人民は、富強祖国の建設のための長久の歴史的闘争の中で自分のものを重んじ、自分の力を一番信じる精神を培い、絶えず新しいものを志向して疾走し続ける革新と飛躍の豊富な経験を積んだ。その日々に、学校と病院、劇場をはじめ文化的富が数多く増え、文明国建設の強固な物質的・技術的土台が築かれた。
          同紙は、革命性と創造精神が強く、並外れた英知と才能を身につけた人民がおり、底知れない潜在力があるので、われわれの強盛国家建設偉業が活力を帯びて前進しているのであると強調した。
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         ある政治体制が「理想」を語るとき、それが純粋であればあるほど、その背後の権力性や矛盾についてしっかりと注意をして考える必要がありますが、この場合も例外ではないでしょう。けれども、今、北朝鮮の体制が何を目指そうとしているのかについて、この「社会主義文明国家」ということばは多くを語っている気もします。単なる「社会主義国家」と「社会主義<文明>国家」とは何が違うのか。おそらく、「文明」ということばにこめられた意味は、「人民の生活向上」という一言に集約されているように思えます。

         実際は、国内の財政問題や貧困問題がかなり切迫しているはずですが、スキー場をつくったり、遊園地をつくったり、ゴルフ場をつくったりするのは、おそらく北朝鮮政府が、海外先進諸国の庶民の普通の消費生活を国内に実現(あるいは少なくとも演出)しようとしているからでしょう。つまり、グローバル化の波は、北朝鮮にも例外なく及んでいると言えそうです。

         「文明」が主として「人民の生活向上」を意味するとすれば(この場合の「人民」はだれを指すのかという問題は置いておくとしても)、この「生活向上」が何を意味するのかについては考えておく必要があります。実際、ここで謳われている「生活向上」とは、人民がスキーをし、遊園地で遊び、ゴルフをすることが普通にできるようになることを意味するように思えます。しかしもし本当にそうだとすれば、ここでの「文明」概念は、単に資本主義諸国の消費文化や商品経済と同義であり、ちっとも新しくはないということです。

         この「社会主義文明国家」を謳う隣国に対して、私たちはどう向き合えばいいでしょうか。それが悲惨なパロディのように見える人は、しかしその悲劇をつくりだしたのは、まさしく日本の植民地主義だったということを忘れるべきではないでしょう。日本の近代化もかつて「文明」を目指しました。そして隣の最貧の核保有国も今また、グローバル資本主義という「文明」を追い求めています。問題は「文明」概念の中身であり、そこにこれまでとは異なる新しい内容を注ぎ込むことができるかどうかなのだと思いますが、そのための真の想像力を、東アジア地域にまだ十分確認することができずにいます。

         
        | 佐々木寛 | - | 01:25 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        コミュニティを奪われた人々――アチェ訪問から考える 
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          スマトラ島沖地震によってアチェに津波が襲ったのは、2004年12月。ですから、もう10年が経とうとしています。アチェ州では約20万人が死亡または行方不明になったということで、被害者数という点で見てもその惨事の規模がわかります。

          悲惨な経験をどう乗り越えるか、というのは文化や地域によっても対応が異なると思いますが、アチェの場合、人々は思いの他たくましく克服しているようにも見えました。下の写真は、津波によって内陸まで流された大きな船を残し、いわば観光スポットとして再利用している例です。看板には、「ウェルカム」と書かれていて、どことなく明るい感じです。2枚目の写真のように、周辺にはお土産屋さんもたくさんあり、被害当時の映像DVDも売っていました。木の向こうには、船とその煙突が見えます。




          次に、津波博物館。国際援助によってつくられたそうです。あまりの立派さに、驚きました。2枚目の写真のように宗教的な慰霊のための空間もあり、建築としては先端を走る印象を受けました。けれども、災害の経験を後世に伝えることがいかに困難なことであるのかも痛感しました。ミニチュア模型などで当時の津波の大きさや被害を再現していましたが、むしろそれが被害のリアリティを削いでいるようにも感じました。アチェの歴史の概略なども展示されているのはよかったです(最後の写真)。






          被災から10年のアチェで考えました。東日本大震災から丸3年が経ちましたが、日本ではあと7年後、どのような経験として「3・11」は記憶されるのでしょうか。一部の若い「文化人」たちが提案するように、東北は観光地として再生するのでしょうか。あるいは、アチェの津波博物館のような巨大な記念館が建つのでしょうか。あるいは、ついに撤去されたあの気仙沼の船のように、当時の痕跡は極力すべてが取り払われるのでしょうか。

          どれも違う気がするのです。


           
          | 佐々木寛 | - | 23:11 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
          コミュニティを奪われた人々――アチェ訪問から考える 
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            アチェの人々について考えるということはどういうことか…。彼らは、津波、内戦といった幾重にも重なる苦しみや抑圧を受けてきました。しかし「開発」もまた、彼らの苦しみの層のひとつを形成してきたということは、忘れてはなりません。しかもこの「層」は、人々の苦しみのもっとも基層をなしているとも言えます。

            次に訪れたチョッ・マンボン集落は、日本の政府開発援助(ODA)で土地が収用された人々がひっそりと暮らす村でした。1977年に日本ASEAN首脳会議で尿素肥料工場建設が決まり、もともと漁民だった彼らは、415世帯が内陸部に移住することになりました。しかし行ってみると、約束されていた田畑も6か月間の支援もなく、彼らは山奥で何十年も見捨てらたまま生きることを強いられたということです。現在、16世帯。その子どもたちの家も入れると約30軒の村でした。

            下の写真は、マタン・スリメンよりもずっと粗末な集会所です。ここで多くの村人と交流しましたが、参加者が床いっぱいに座ったので、壊れないかと心配でした。



            ひとりの女性(60歳)が言うには、村の今一番の問題は、きれいな水がないということだそうです。川の水は汚れていて、しかも遠い。海外の支援でできた一軒の家の井戸を見せてもらいましたが、その水も写真のような色で、量も足りません。



            下の写真は、その井戸があったお宅です。このお宅は、移住当時の面影を残した家だそうで、快く見せていただきました。庭で胡椒などのさまざまな作物を栽培していて、そのたくましい暮らしぶりが印象に残っています。けれども、そもそも漁民が山奥での暮らしを強いられたわけですから、その苦労は想像を超えます。その下は、村の雑貨屋兼、喫茶店(だと思います)。ここでおいしいコーヒーもごちそうになりました。止まったようなゆっくりした時間は、「貧しい」村にあって私たちには普段持つことが難しい「豊か」な時間でした。





            ODAや日本企業の進出による住民の排除や環境被害については、すでに多くの報告がなされていますが、Sさんの案内で、同じような土地収用でできた同地域のアルン液化天然ガス(LNG)社やイスカンダル・ムダ肥料工場などを眺めていると、途上国における資源開発現場の政治がもつ共通性が浮かび上がってきます。ありていに言えば、日本政府や日本企業と途上国権威主義体制(軍)との共犯関係によって、国内の少数者や弱者が弾圧され、抑圧されるという構造です。

            下の写真で海岸の向こうに見えるのは、日本のODAで建設されたアルン社です。もう天然ガスが枯渇しつつあるので、将来この美しい海岸に残されるのは、プラントの廃墟だけになるかもしれません。インドネシアのLNGのほとんどは日本に輸出され、日本の天然ガス総輸入量の約3割はインドネシアに依存しています。これまで日本は、世界中から天然資源をかき集めて「豊かな」生活を維持してきました。そのつめ跡が世界中に残っているわけです。

            新しい<文明>を考えるとき、それはもはや一国単位の枠組みではまったく不十分であることがわかります。そしてその中心的な争点として、何よりも<エネルギー>の問題があることも、次第にだれの目にも明らかになりつつあります。


             
            | 佐々木寛 | - | 15:21 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
            コミュニティを奪われた人々――アチェ訪問から考える 
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              イラクで見たコミュニティベースの「平和構築」については、これからも引き続き考察を続けていきたいと思います。これに関連して、オリバー・P・リッチモンド(Oliver P. Richmond)というイギリスの平和研究者が『自由主義的<平和>をこえて(A Post-Liberal Peace)』(2011年)という本を書いていますが、この彼の視点もこれからの強力な援軍になりそうです。

              さて、私の研究者仲間の一人であるSさんのおかげで、先日(2014年3月)インドネシアのアチェを訪れることができました。インドネシアも、そしてもちろんアチェも初めての訪問でしたが、アチェの人々と強固な人間関係を築き、その社会の奥底にまで根を張って研究を続けてこられたSさんのおかげで、短期間であるにもかかわらず、多くの経験と学びを得ることができました。

              アチェは、インドネシアの中でマレーシアに近いスマトラ島北端の州で、日本では、バリのような観光地とは異なり、津波や内戦などのニュースで知られています。下の地図の緑色の部分がアチェです。



              訪れたのは、アチェの二つの集落です。ひとつは、ハンセン病で長年にわたって地元でも差別を受けてきた人々で、そのせいで津波の際にも支援が遅れたマタン・スリメン集落。そしてもうひとつは、日本の政府開発援助(ODA)で村を追われて山間部に移住を余儀なくされたチョッ・マンボン集落です。普通はなかなか行ける場所ではありません。クアラルンプールからバンダアチェ、バンダアチェ(空港)からさらに車で6時間、やっと集落近くのロスマウェに着きます。

              アチェはちょうど選挙期間の真最中で、下の写真にあるように、各政党の旗が道路脇にたくさんはためいていました。女性もバイクに乗っていて、それは同じイスラム圏のイラクとは大違いでした。ちょっとピンぼけですが、赤い旗は、インドネシアからの独立を訴える「自由アチェ運動」の旗で、一角がすべてこの旗で統一されている地域も多く見られました。




              華人資本によるミルクフィッシュ(サバヒ)の養殖所(これはエビの養殖所がダメになった後つくられるということです)を横目に、雨が降ると水浸しになる悪路を車で行くと、マタン・スリメンです。





              マタン・スリメンは約26世帯の村です。上の写真の建物は、村人が集まり、お祈りをしたり相談したりする集会所です。ここで村の人たちに大勢来ていただき、辛い話ですが、津波や内戦、ハンセン病差別の話をうかがうことができました。村長のフンスルさんによれば、家族から隔離され「葬式にも招かれない」ほど差別を受けていた彼らは、津波によってさらにすべての家が流され、多くの人たちが亡くなったそうです。しかし、皮肉なことに、津波以後、オランダなどの支援もあり、逆に差別は少なくなったということです。すべてを「平等に」破壊しつくした津波によって内戦が終息に向かったアチェ。自然災害と人災との関係について考えなければならない多くの問題を投げかけてきます。村長さんは、ジャワ島のテガルで同じハンセン病患者たちの様子を視察してきたばかりのようで、比較をしながら、何よりも自分たちの集落には仕事がなく、最初の自己資金がないことが自立への大きな妨げになっていると訴えていました。

              ここで子どもたちの将来の夢をきくこともできました。ムハンマド・ザムザミくん(7年生)は、お医者さんになること。タマリヤちゃん(1年生)は歯医者さん。アムラくん(4年生)やエフくん(6年生)はサッカー選手。それから多くの子どもたちが、体育の先生、算数の先生、宗教の先生など、学校の先生にあこがれていたのが印象的でした。

              次の集落、チョッ・マンボン集落については、「コミュニティを奪われた人々――アチェ訪問から考える ◆廚任款匆陲靴泙后

              最後の写真は、マタン・スリメン訪問の途中にあったサムドラパセ王のお墓の写真ですが、地元の人によれば、このお墓だけは津波がよけて通ったそうです。これが本当なら、津波は「平等」ではなかったことになるのかもしれません…。





               
              | 佐々木寛 | - | 13:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
              中東訪問から考える  イラク アルビル――「市民戦争」と「市民」
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                前回は、イラク(アルビル)の「豊かさ」について触れました。
                アルビルは「第二のドバイ」とも言われていますが、その場合の「豊かさ」とは、言うまでもなく消費経済や商品経済の発展という意味における「豊かさ」です。けれども前回は、それよりも豊かなもうひとつの「豊かさ」を、アルビルの街で探し、その意味を考えました。

                ただ残念ながら、イラクではまだ紛争が終わってはいません。2003年イラク戦争…。世界はとっくに忘れ去っているようですが、しかしあれからずっと紛争は続いているのです。日本もずいぶんと関わったこの戦争の後にいったい何が起きているのか、もし私たちが忘れているとすれば、それは本当に無責任なことだと思います。

                現代は、「civil war(市民戦争・内線)」の時代です。その意味で、今話題のシリアやクリミアのみならず、忘れられたイラクの地域紛争の現状も、同時代の共通課題として考える必要があります。

                訪れてみてまず気がついたことは、社会に広く蔓延する軍事文化や軍事経済です。「社会の軍事化」は、紛争が長期化すればするほど、根雪のように市民生活に定着し、次の紛争の栄養源になり続けます。写真は、ホテルにいっしょに居たイラク人(元軍人)がサッと出してくれたホンモノの拳銃です(初めて持ちましたが、モデルガンと変わらない感触でした)。このように武器も社会のいたるところに普及しています。そして、テレビドラマなどでも、拳銃で簡単に人を殺すようなリアルな暴力シーンが多く見られました(とはいっても、それは日本も同じかもしれません…)。



                今回、さらに危険な地域であるイルクークでの状況などは、そこで活動する「INSAN」というNGOの方々にインタビューする形で情報収集をしました。その結果、子どもたちや学校の中にも、日常的に民族差別や暴力が蔓延している様子がわかりました。ゴミの出し方が悪いという理由で銃撃戦が始まったり、モスクにすら日常的に爆弾テロがなされるという状況は予想を超えていました。

                下の写真は、私(右)とINSAN代表のアリさん(左)です。詳細はJVCの報告や今後のプロジェクトの中でお知らせできると思いますが、まず何よりお伝えしたいことは、崩壊する地域社会の中で、INSANのような、無名であるにもかかわらず、平和構築のために本当に重要な活動を展開しているNGOがあるということです。私は、現在の国連中心の、いわば「上からの平和構築」というのは、相対化され、再構築されるべきだとかねてより考えてきましたが、それは確信に変わりました。時間がかかっても、本当に確実な「平和構築」が何であるのか、それは、平和研究としても最重要のテーマです。



                アリさんがおっしゃっていた中で、もっとも印象的だったのは、「市民社会(civil society)」の概念についてです。彼らにとって「市民(civil)」とは、何よりも「軍(military)」の対抗概念であるということ。つまり、「市民」とは何よりも「非軍事(武器をとらない)」という意味なのです。これは「シビリアン・コントロール」という意味での「市民」ですから、私たちにとっても馴染みがあるのですが、彼らの活動の骨格にこの意味における「市民」概念が貫かれています。デモクラシーの担い手はまず「非軍事」でなければならないという思想は、「武器を取って戦う市民」という欧米の伝統的「市民社会」概念とは一線を画しています。長期的な内戦で破壊された社会の中で、彼らがもがきながら選択し、生み出してきたこの思想のニュアンスに、私は深い衝撃を受けました。

                お金もない、物もない(アリさんがもっていたPCはキーボードの一部が壊れたままでした)中で、我流で勉強し、何とか世界の情報を収集し、自分たちの創意工夫で地域から平和を創り出そうと奮闘努力している姿から、本当に学ぶべきことが多くありました。限られたありあわせの材料を組み合わせて創り出される彼らの実践は、いわば「“ブリコラージュ(器用仕事)”としての平和構築」とでも呼ぶべきものです。

                そしてここでも、キーワードはやはり「コミュニティ」でした。地域をつくる力です。彼らの地域づくりの個々のスキルには、驚くばかりでした。「平和な地域コミュニティをいかに創るか」というテーマは、「3・11」後の東北をはじめ、紛争やグローバル化で傷ついた地域や世界中が抱える共通課題でもあります。彼らの創造的なスキルは、たとえば東北の被災地にも活かせるかもしれませんし、またたとえば、私たちの「非暴力トレーニング」の研究やスキルは、イラクをはじめ世界中の紛争地域でも応用可能かもしれません。これからやるべきことは多そうです。

                最後に明るい写真を載せておきます。上の写真は、INSANの女性スタッフのひとりから見せていただいたもので、いろいろなエスニック集団の若い女性たちが仲良く映っています。下は、街角で見たイラク仕様のマネキン人形。まゆげが濃いのが和みます。いずれも来るべき新たな「文明」にとって重要なヒントが隠されている気がします。


                | 佐々木寛 | - | 13:04 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                中東訪問から考える ◆.ぅ薀 アルビル――「豊かさ」について
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                  多忙にまかせてまたずいぶんと間が空いてしまいました。間が空くと良いことと悪いことがありますが、悪いことは、旅の細部を忘れてしまうということ、あるいは、記憶のねつ造が起こるということです。これについては、旅の間に手帳に書き込んだメモを読みながら、また写真を手掛かりにしながら、何とか補うことができればと思います。一方、良いこともあります。それは、経験が濾過されて、自分にとって大切なものだけが明らかになるということです。時間が経つと、当時は価値のなかったように思ったことが、実は自分にとって価値のある経験であったことなどを再発見できます。

                  ドバイの次に訪れたのは、目的地のイラクです。イラクといっても、未だ戦火のやまないバグダードなどには入れないので、アルビル(ERBIL)というクルド人自治区の中心都市に滞在しました。そこで、石油産地としても有名なイルクークで活動する現地NGOの方々への聞き取りを行ったのでした。イルクークもまた、日本人が入ることは非常な危険を伴うため、今回は訪問を断念しました。申し遅れましたが、今回の旅は、日本国際ボランティアセンター(JVC)の方々との共同のプロジェクトによるものでした。これを契機に、JVCの方々とイラクとは、長いおつき合いになりそうです。

                  さて、文明について考えるこのブログとしては、まず、アルビルの「豊かさ」について触れます。
                  下の写真は、旅の間何度も飲んだお茶です。基本的にムスリムはお酒は飲まないので、これを飲みながら仲間と話し込むのです。飛行機では「Black Tea」と言っていましたが、色の濃い紅茶です。砂糖をたくさん入れて飲みます。これは病みつきになります。



                  そして次は、旅の途中で食べた料理の数々。





                  基本的にケバブのような料理が多く、メインはお肉とお米(炭水化物)なのですが、イラク研究者の酒井啓子さんが指摘するように、イラクはお米が本当においしい。長粒米ですが、ほんのり甘いのです。

                  最後の黒いものは、「デーツ」です。これは、モスクを訪問したときにごちそうになったのですが、本当においしいデーツでした。高級アンの和菓子という感じでした。これも有名な事実ですが、スイーツはとても充実していました。下から3番目は、屋台のお菓子屋さんです。下から2番目は確か「クナーファ」といったと思いますが、本当においしかった。いずれもはちみついっぱいのリッチなお菓子です。

                  気がついたのは、人々が普段から集い、のんびり話し合うためのさまざまな場や機会があったということです。下の写真は、初体験の水タバコ(上)と夜の街(下)ですが、男たちは昼も夜も社交の場をもっていて、ひまわりの種を食べながら、たばこを吸いながら、お茶を飲みながら、永遠と話しているのです。女性が家に閉じ込められているのには驚きましたが、とにかくそのような濃密なコミュニティの存在こそがアルビルがもつ「豊かさ」の本質であると思いました。



                  そして、人々の集いの場所という意味で欠かすことのできないのは、モスクです。
                  下の写真は、シタデル(CITADEL)という旧市街の中にあったモスクの様子です。突然の訪問にもかかわらず、イマーム(お坊さん)は本当に歓迎してくださいました。モスクの歴史を語り、先ほどのおいしいデーツをふるまってくださいました。飢饉が訪れた際に、自分の食事を分け与え餓死したイマームの話など、彼が語る歴代のイマームの話は心を打つものでした。イマームの権威とは、民衆の尊敬の上に成り立つ権威です。宗教機関であるだけでなく、貧しい人や弱者の避難所でもあり、教育機関でもあり、地域の自治会でもある。コミュニティのあらゆる機能がつまっている場所がモスクなのです。




                  最後の写真は、宿の近くのモスクを訪れた際のものです。モスクはすべての人間に開かれています。神の前ですべての人は平等。外国人にも分け隔てなく開かれています。カメラを向けると、くったくのない少年の顔。私たちがこのイスラムの伝統に学ぶことはきわめて多そうです。


                   
                  | 佐々木寛 | - | 00:40 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                  中東訪問から考える  .疋丱ぁ宗宗嵎弧澄廚遼路
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                    多忙にまかせ、しばらくブログを書き込めませんでしたが、忙中閑あり。久しぶりに書き込むことにします。

                    今回、人生初めての中東地域への訪問で、ドバイ(ドバイ首長国(アラブ首長国連邦))とアルビル(イラク)を訪れました。いずれも「第一印象」という程度のレポートですが、「第一印象」だからこそ本質に近づけるということもあるかもしれません。

                    下の写真は、ドバイに着く直前の飛行機(エミレーツ航空)から下を映した映像です。



                    砂漠。どこまでも続く砂漠。

                    その中に忽然と摩天楼がそびえる街が出現します。



                    ドバイは、かつてバグダードをめざして建設されたそうですが、イラク戦争後、ボロボロになったバグダードとは対照的に、1970年代以降まさに「中世から近代への急変」と言われる経済成長を遂げ、中東一のメガロポリスになりました。



                    空港の時計もすべてロレックス。空港からもう成金感がプンプンでした。
                    下は、有名な世界最高層のビル、「ブルジュ・ハリーファ」。
                    何というか、So What ? という感じのべらぼうな高さ。
                    バベルの塔を想起するのは私だけでしょうか。



                    短時間しかいませんでしたが、中東のシンガポールと言う感じで、グローバル化世界を純粋培養したような均質な空間でした。目に見える働いている人々はほとんどが外国人。「ドバイ市民」は高層の高級マンションの奥にいて外には出てこないので、ふらっと訪れた旅人と会うことも無い。訪問者にとっては、お金をたくさん使って消費するという以外、何の楽しみも見いだせない所だというのが第一印象です。思わず口をついて出たのが、「文明の末路」…(ドバイの人、ごめんなさい)。

                    オイルマネーがいかんなく経済成長に寄与すれば、ドバイになる。オイルがあることで不幸になるとすれば、イラクになる。いずれも石油に依存した社会が世界の権力の都合次第でどう不幸になってしまうのか、今回の訪問ではそれを見た気がします。

                     
                    | 佐々木寛 | - | 17:20 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                    「我々はあまりにも欺瞞に慣れてしまった」
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                      「我々はあまりにも欺瞞に慣れてしまった」…。

                      今朝の池澤夏樹氏のエッセイ(『朝日新聞』)から。

                      敗北を忘れ、我々(日本人)はあまりにも欺瞞に慣れてしまった。

                      「恥」を知れ、というわけです。

                      本当にそう言うしかないことばかりが展開しています。

                      原発の再稼働と輸出、集団的自衛権の許容、沖縄の放置…、すべて戦後の矛盾を、「恥」を知ることなくやりすごす「生」。

                      もう限界にきているのではないでしょうか。

                      水に流してやり過ごす手法は、実は<冷戦>という、囲い込まれ、飼いならされた政治空間の中でのみ可能であったことを、私たちはもうそろそろ認めなければなりません。世界の大きな流れから取り残され、過去にも目を閉ざし、自分の小さな殻に閉じこもっているこの民族に、本当に未来はあるのか。

                      今朝の同じ新聞には、私もお世話になったK先生が「安保法制懇座長代理」として登場し、「集団的自衛権」を法的にも認めるべきだと高らかに宣言していました。時局に合わせて権力にすり寄り、未来に禍根を残す言説を垂れ流すまさに御用学者の典型。良い人だけに残念です。

                       
                      | 佐々木寛 | - | 09:35 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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